音楽

西洋音楽史と音楽家たち

第12回「ノートルダム学派とペロティヌス」

2017年6月18日

12世紀、建設が進むパリのノートルダム大聖堂では、西洋音楽史に大きな足跡を残した二人の音楽家が登場し、後にノートルダム楽派と呼ばれるようになります。
その始めの一人がレオニヌスでした。本来単声斉唱であるグレゴリオ聖歌の中の、先唱者が独唱する部分で、基底部のテノールに対し旋律(メリスマ)を付けて歌う2声のオルガヌム様式を発展させたのです。さらに音の長さを楽譜に記すリズムモード法を考えついて「オルガヌム大全」を完成させ、西洋音楽の大きな特徴である複数の声部を持つポリフォニー(多声音楽)の始まりとなったのです。

このレオニヌスの跡を継いだのが、ペロティヌスでした。
例の「第4の無名者」として知られる1世紀のちのイギリスからの留学生が記した記録によれば、「マギステル・レオニヌスは、最高のオルガニスタ(オルガヌム歌手・作曲家)であり、ミサと聖務日課のための『オルガヌム大全』という曲集を作り、マギステル・ペロティヌスの時代まで使われた。最高のディスカントール(ディスカントゥス歌手・作曲家)であるマギステル・ペロティヌスは、それを縮めてより優れた多くのクラウズラにした。」とあります。
ペロティヌスの時代に2声であった先唱者の歌うオルガヌムは、まだ即興的な色彩が強かったようですが、ペロティヌスによってさらに3声、4声へと拡大され、また、通常聖歌の低旋律を引き延ばして歌っていた第1声部のテノール自身がリズムを伴って歌う対旋律(クラウズラ)を用いるディスカントゥス様式も、さらに発展しました。

さて、音の高さと音の長さを記譜するのが楽譜なのですが、これまでのネウマ譜の上では音の高さのみが表されていました。グレゴリオ聖歌ではこれをお経のように歌っていたのですが、ノートルダム楽派では4つ声部を合わせるために歌詞の音の長さも合わせる必要が高まり、リズムモード法というのが考え出され、確立されたのです。これによって、3拍子(または8分の6拍子)のリズムを刻む、基本的なパターンで曲が表され歌われるようになったのです。

このように、始まりは修道院の中で聖職者たちのために静かに歌われていた聖歌が、堂々とした大規模な大聖堂の中で、多くの礼拝者に向かって歌われるにふさわしいスケールの大きい長大で華やかなものになっていき、作曲的な傾向が強まります。それで、この二人を史上最初の作曲家だと呼ぶこともあるのです。しかし、今日的な意味での音楽専従者や作曲家は、当時の教会の中には存在せず、聖職者がその仕事の一つとして掛け持ちでやっていたのが実情のようで、ペロティヌスもまたそのような一人だったのでしょう。

ノートルダム楽派の「オルガヌム大全」はこの後1世紀以上を経てもなおパリで歌われ続け、またヨーロッパ各地へと広がっていって、西洋音楽の基礎となりました。

出典:金澤正剛「中世音楽の精神史」、皆川達夫「中世・ルネサンスの音楽」、皆川達夫「楽譜の歴史」、岡田暁生「西洋音楽史」他