音楽

西洋音楽史と音楽家たち

第1回「グイード・ダレッツォ」

2017年3月5日

森のアトリエオーナー 宮本孝志

毎年3月から12月にかけて日曜日に行われる「森のアトリエ・ディナーコンサート」は、過去から現在に至る西洋音楽史の中に宇宙や音楽へのあこがれをたどって行く音楽プログラムで、今年は5年目にあたります。
さて、ではどうして天文台で音楽会をするのでしょうか? それは、もともとギリシア以来の西洋音楽の歴史は、宇宙の調和と法則を理解し表現しようとした事に始まったからです。
今年はそんな西洋音楽の歴史を作ってきた音楽家たちを一人ずつ紹介したいと思います。

さて、西洋音楽はギリシャ・ローマ時代の哲学や世界観にその根を持っていますが、今日まで伝わっているその時代の音楽は無く、聴く事もできません。実際のところは、現在の西洋芸術音楽(クラシック)の源流となっているのは、8世紀ごろに成立したグレゴリオ聖歌です。ヨーロッパ中央部を統一し、今日の西欧世界の基となるフランク王国を打ち立てたカール大帝が、王国をひとつにまとめるためにキリスト教化を推し進める中で、ローマ聖歌を取り入れて確立されたのがグレゴリオ聖歌だったのです。

聖歌は敬虔な無私の祈りをささげる宗教歌であり、今日のように音楽家個人の創造性の発露や名声や富を得るために作曲されたり歌われたりしたものではありません。また、その意味で、当時は聖歌を歌う修道士という存在はあっても、音楽家という人はいなかったのです。当然音楽家としての個人の名前が後世に残る事もありませんでした。

しかしそのような中でも、聖歌隊の教育に力を尽くしたり理論書を発表したりした、ライヒェナウ大修道院のベルノ、ザンクト・ガレン大修道院のバルブルスやトゥオティロやラベオ、サンタマン修道院のフクバルドゥス、聖トロン大修道院のコロンバンといった名前が残っています。

そして中世をとおして、このような修道院付属聖歌学校の中で最もよく知られ、また最も大きな功績を残したのは、当時もっとも参照された実用的な音楽書「ミクロログス」を著し、また、楽譜を考案し、ドレミファソラシドの発明者としても知られるグイード・ダレッツォ(990年頃=1050年頃?)でしょう。
今日の音楽家は、彼の業績の上に仕事をしていると言っても過言ではありません。
音の高さを表すこれらの指標の他にも、聖歌隊を教育するにあたり、指の関節で音高を支持する「グイードの手」の考案者でもあると言われ、当時の聖歌の発展に多大な功績を残しました。