音楽

西洋音楽史と音楽家たち

第11回「ノートルダム学派とレオニヌス」

2017年6月11日

パリのセーヌ川に浮かぶ小さな中州であるシテ島に、かつて建っていたフランス王ルイ7世の王宮へと、12世紀の半ばトルバドゥール(南仏宮廷歌人)達を率いて嫁いで来たのは、ヨーロッパの祖母と呼ばれたあのアリエノール・ダキテーヌでした。やがて王宮を舞台に、トルヴェール(北仏宮廷歌人)達が華やかな活躍を始めます。

その同じシテ島に建つノートルダム大聖堂は、9世紀に建てられた古い司教座聖堂でしたが、アリエノールがルイ7世と離婚して去る頃に、ちょうど100年をかけた新しい大聖堂の建設が始まりました。その頃のパリは、中世ヨーロッパの学問の中心地となっており、ノートルダム大聖堂付属学校や、中世大学のはしりであるパリ大学などが多くの学生を集めていました。当時ヨーロッパ有数の都市であったパリの人口8万人のうちの4分の1は学生であったと言われています。特にノートルダム大聖堂、サント・ジュヌヴィエーヴ修道院、サン・ヴィクトール修道院の三つの地点に囲まれた三角形の狭い地域はカルチェ・ラタン(ラテン地区)と呼ばれて、ラテン語で会話する学生たちの居住地でした。実際にこの辺りを歩いてみると、パリ大学の最も古いソルボンヌ学寮を含めて、意外に狭い地域である事が分かります。

さて、建設が進むノートルダム大聖堂では、西洋音楽史の中に大きな足跡を残した二人の音楽家が登場し、後にノートルダム楽派と呼ばれるようになります。
その始めの一人がレオニヌスで、この謎の多い教会音楽家は、一世紀後のイギリスからの留学生が記した記録によってのみ知られています。そこには、「マギステル・レオニヌスは、最高のオルガニスタ(オルガヌム歌手・作曲家)であり、ミサと聖務日課のための『オルガヌム大全』という曲集を作った」とあります。オルガヌムというのは、単声斉唱であるグレゴリオ聖歌に対して対旋律を付けて歌うもので、西洋音楽の大きな特徴である複数の声部を持つポリフォニー(多声音楽)の始まりとなったものですが、レオニヌスは2声のオルガヌムとしてそれを発展させたのです。そして、音の長さを楽譜に記すリズムモード法を考えついて「オルガヌム大全」を完成させ、新しいポリフォニーの基礎を作ったのだと考えられています。

このレオニヌスが誰であったのか、さまざまな諸説がありますが、現代的な認識でいうところの教会付属の楽長や作曲家であったというよりも、教会の聖職者であったレオニヌスがその仕事のひとつとして聖歌を歌ったり作曲をしたりしていたというのが、どうも実情のようです。
というのも、音楽家としては公式記録には記されていないその名前ですが、大聖堂の参事会会員という高位の聖職者として、また近くのサン・ブノア教会の管理者として、レオニスヌ司祭という名前が記録に出てくるからです。今とは違って、音楽家や作曲家という職業や概念が成立していなかった当時、このレオニヌス司祭こそが、あの大聖堂の音楽を司っていたマギステル・レオニヌスなのではないかと推測されています。
後の壮大で複雑な交響曲などに発展していった西洋音楽も、もとはこうした一人ひとりの音楽家たちの創意工夫の積み重ねが生み出していったものだったのです。

出典:金澤正剛「中世音楽の精神史」、皆川達夫「中世・ルネサンスの音楽」、ヴァルター・ザルメン「音楽家409人の肖像画」他