2017年4月9日
中世の吟遊詩人たちの世界は、11世紀末に南フランスのギヨーム9世の宮廷で始まり、騎士が没落する14世紀ごろまで続きます。
初めトルバドゥールと呼ばれた彼らの活動は、12世紀の半ば頃、ギヨーム9世の孫娘アリエノール・ダキテーヌが、フランス王になるルイ7世と最初に結婚し、やがて離婚してイギリス王となるヘンリー2世と再婚した事もあり、パリを中心とした北フランスやイギリスの宮廷に広がって彼らはトルヴェールと呼ばれることになり、さらにドイツまで広がってミンネジンガーとなったのです。つまり、吟遊詩人たちの活動は当初王妃アリエノール・ダキテーヌの周辺で起き、さらに発展していった宮廷文化という事もできるでしょう。
ところで、アリエノールがフランス王に嫁いだ当時のパリでは、シテ島の大聖堂付属学校と南の丘サント・ジュヌヴィエーヴの学校、そして東の丘のサン・ヴィクトール修道院付属学校の3点に囲まれた「カルチェ・ラタン(ラテン地区)」に、学生たちや高度な教育を受けた知識人や聖職者たちが、ヨーロッパ中から集まって来ていました。そして壮麗なゴシック様式の建設が進むノートルダム大聖堂の中では、ノートルダム楽派が活躍し、ポリフォニー(多声音楽)やリズムを伴う新しい音楽が生まれていたのです。
さて時代は下り、没落する騎士たちに代わって、吟遊詩人の活動は勃興する都市の中産階級へと主役が交代していきます。とりわけ毛織物が盛んだったフランス北部のアラースの町では、歌人組合「ピュイ」が組織され、トルヴェールたちが大勢活躍します。
13世紀の半ば過ぎ、そのアラースの出身でパリ大学で学問を修めたのが、最後のトルヴェールと呼ばれるアダン・ド・ラ・アール(1245頃~1288年頃)です。彼は、おそらくはパリ大学の周辺で当時盛んになっていたアルス・アンティクアと呼ばれる複雑な教会音楽のポリフォニーを学び、後にはアラースの領主ロベール2世にメネストレル(宮廷楽師)として仕えていたようです。そしてトルヴェール伝統の単旋律の歌曲を作っただけではなく、ポリフォニーを融合させて世俗歌曲を書いた唯一のトルヴェールとなりました。また、史上最初のオペレッタと言われる世俗劇「ロバンとマリオンの劇」をポリフォニーで書いたのです。これは、フランスで一般的だった田園詩を基に書いた劇で、羊飼いの娘マリオンを見初めた騎士が、我が物にしようとその恋人の農夫ロバンから奪おうとしますが、マリオンは騎士にはなびかず、仲間たちはそれを見て大喜びするといった、素朴な内容でした。
こうして、アダン・ド・ラ・アールは生涯に34曲のシャンソン(フランス語で書かれた世俗歌曲)や歴史的な2つの世俗劇、16曲の3声ロンド、社会風刺に満ちた5曲のモテトゥスなどを書きましたが、それらは手写本に記されて残り、作品を後世まで残した音楽史上最初の音楽家ともなったのです。