音楽

西洋音楽史と音楽家たち

第3回「アキテーヌ公ギヨーム9世とトルバドゥール」

2017年3月20日

「愛、この12世紀の発明」と言ったのは、19世紀フランスの歴史家セニュポス。今では愛や恋はあらゆる劇やドラマに欠かせない至上のテーマですが、それまで蛮族の侵攻によってギリシア・ローマの知恵と文化を失っていた12世紀以前の荒々しいヨーロッパでは、男性にとって女性は獲得すべき欲望の対象であり、恋は一時の情念に過ぎず、また結婚とは家庭を持つための手段に過ぎないものでした。
しかし、スペインのレコンキスタ(国土回復運動)に続き、1096年、失われたキリスト教の聖地を奪還しようと十字軍が始まって騎士たちの活躍が脚光を浴びる頃、ヨーロッパは進んだイスラム文化を通して失われたヨーロッパ古典古代の文化に触れ、やがて受容していくのです。そのような11世紀末、南フランスのポワティエ泊アキテーヌ公ギョーム9世(1071年 – 1126年)の宮廷で、官能的で肉体的な愛ではあっても女性を対等な恋愛の対象として認め、貴婦人たちを称揚する詩を作り、愛を歌い上げるトルバドゥール(吟遊詩人)と呼ばれる騎士たちの活動が始まりました。もっとも、騎士たちは詩や曲を作るだけで、実際の演奏や歌は、ジョングルールと呼ばれる芸人たちが行う事も多かったようです。
最初のトルバドゥールと呼ばれるギヨーム9世は、トルバドゥールの伝記(ヴィダ)によれば、「ポワティエ伯は世界で最もエレガントな人物である。また最も女性を誘惑するのに長けた人物であり、騎士としても優れ、男気にあふれた手を差しのべる。彼は詩を作り、すばらしい歌い手でもあり、女性を惑わすために諸国をさまよったのだ。」とあります。
実際、その奔放な女性遍歴のために2度の結婚は破たんして妻たちは修道院へ隠棲してしまい、また教会からも2度も破門され、後の時代の敬虔で誠実な騎士のイメージとはずいぶん違っていたようですが、その魅力的な宮廷には多くの知識人や吟遊詩人たちが集まり、新たな宮廷文化が始まる母胎となったのでした。その後、ベルナルド・デ・ヴェンタドルンやジャウフレ・リュデルなどが、トルバドゥールとして活躍します。
こうしてグレゴリオ聖歌が歌われていた教会の外で歌われていた宮廷歌人たちの歌は、やがてギヨーム9世の孫娘アリエノール・ダキテーヌがフランス王ルイ7世と結婚した事もあり、北フランスの宮廷でトルヴェールとして開花します。この流れはさらに北に向かい、半世紀遅れてドイツの神聖ローマ皇帝の宮廷でミンネジンガーたちが愛の歌を歌い始めるのです。
こうして愛や恋は、宮廷内で主君の妻などの高貴な女性に誠を捧げ、結ばれることのない崇拝の対象にする、騎士たちの奉仕と自己犠牲の礼節という理想に変わっていきました。これを19世紀にガストン・パリスは「宮廷風恋愛」と名づけました。これが後には騎士道精神となって、ヨーロッパの精神風土を形作ることになるのです。