音楽

ディナーコンサート第177回

「ロマン派、王道の流れ シューベルトとシューマン」

2017年9月3日

第177回ディナーコンサート

「ロマン派、王道の流れ シューベルトとシューマン」

 

演奏:ラスカーラ・アンサンブル 「la sen(螺旋)」

ヴァイオリン 山口 みゆき

フルート 山口 邦子

オーボエ 岩崎 彩

ピアノ 太田原 みどり

 

♬1. R.シューマン作曲 3つのロマンス

♬2. F.シューベルト作曲 アヴェ・マリア

♬3. R.シューマン作曲 アダージョとアレグロ

♬4. F.シューベルト作曲 野ばら

♬5. R.シューマン作曲 子どものためのアルバムより

「収穫の歌」

「最初の喪失」

「小さなフーガ」

「楽しき農夫」

勇敢な騎手」

♬6. F.シューベルト作曲 ます

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西洋音楽史と音楽家たち 

第17回「ギョーム・デュファイ ルネサンスの幕開け」

南阿蘇ルナ天文台・森のアトリエ 宮本孝志  2017.09.03

 

ギョーム・デュファイ(1400年頃-1474年11月27日)は、15世紀にルネッサンス音楽の始まりとなったブルゴーニュ楽派の作曲家です。後のバロック音楽の始まりを告げたモンテヴェルディや、ルネッサンス・バロック音楽の潮流をひとつの海の中に包含したバッハのように、新たなルネッサンス音楽の始めとなり、それまでの中世のあらゆる音楽を自分の音楽の中に取り込んでいった、西洋音楽史の中の巨人です。

 

イギリスとフランスとの100年戦争の末期、北フランスのフランドル地方はイギリスからの音楽の窓口となりましたが、東フランスに栄えたブルゴーニュの宮廷には、ブルゴーニュに併合されたフランドル地方の音楽家たちが集い、当時のヨーロッパの音楽の中心となったのです。

 

フランドルの音楽家たちは、大聖堂付属合唱隊などで中世からの音楽を仕込まれ、後にイタリアで活躍して美しい旋律を喜ぶ音楽を身に着け、さらにはイギリスからの魅力的な三和音の音楽をも習得していったのです。そして、それを紡ぎ合わせ総合して、新しい時代の音楽を生み出していきました。

 

なかでもギョーム・デュファイは、9曲のミサ曲をはじめ、多くのモテトゥスやシャンソンを作曲し、その中にはフランスの中世から続く多声歌曲の旋律法、イギリスの3度、6度の新しい和声法、イタリアの特徴的な旋律書法などを総合して、デュファイならではの音楽に昇華していきました。

 

ミサ曲「もしも私の顔が青いなら」は循環ミサ曲という形式でかかれましたが、それは同一のテノールの定旋律をもちいて音楽的な統一性を図っていく、後の時代のモチーフ(動機)をもちいた作曲へとつながるような書法で、デュファイはそれをひとつの完成した形式へと高めました。

 

また、ルネサンス最初の建築とされるフィレンツェのサンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂の落成にあたって、デュファイが作曲したモテトゥス「若々しきバラ」は、大聖堂建築の設計比率に合わせて、4つの声部の動きを示すという手の込んだ名曲で、大聖堂の献堂式で演奏され、まさにルネッサンス時代の幕開けを告げる象徴的な曲となったのです。

 

いずれも、ただの典礼上の音楽の用途を満たすだけではなく、その中に音楽としての美しさや音楽でなければ表現できないものを、追求していきました。

こうして、ギョーム・デュファイは、音楽の歴史におけるルネサンスの幕を開け、展開させていった巨人として、記憶されることになるのです。

 

参照:皆川達夫「中世・ルネサンスの音楽」、ヴァルター・ザルメン「音楽家409人の肖像画」、岡田暁生「西洋音楽史」他