2017年9月24日
第180回ディナーコンサート
「ベッリーニ歌曲のひと時」
演奏:青柳佑子(ソプラノ), 田端愛華(ピアノ)
1.優しい妖精、マリンコニーアよ
2.お行き、幸運のバラよ
3.美しいニーチェよ
4.せめて、私にかなわぬなら
5.どうぞ、愛しい人よ
6.よろこばせてあげて
西洋音楽史と音楽家たち
第20回「アントワーヌ・ブリュメル」
南阿蘇ルナ天文台・森のアトリエ 宮本孝志 2017.09.24
ルネサンス期の音楽は、16世紀のギョーム・デュファイに始まり、フランドル楽派と呼ばれる北フランス出身の音楽家たちの系譜によって、初期のヨハネス・オケゲムや、中期にその頂点に達したジョスカン・デ・プレなど、幾多の天才的な音楽家たちを輩出し、150年ほども続きました。それは、近代のクラシック音楽の主流であるドイツ楽派にも匹敵します。
ルネサンス期の最盛期から週末にかけても、個性ある多くの有名無名の音楽家たちが活躍しました。ちょうどロマン派の音楽家の代表を数名挙げよと言われても、誰を数えるのか迷ってしまうのと同じです。
ジョスカン・デ・プレ(1450頃-1521)と同時代の代表的なところでは、アントワーヌ・ブリュメル (1460-1513 ? )、ハインリッヒ・イザーク (1450頃-1517)、ヤコブ・オブレヒト (1450頃-1505)、ピエール・ド・ラ・リュー (1460頃-1518)、クレマン・ジャヌカン (1485頃-1558)、ニコラ・ゴンベール (1495頃-1556) などなどがいます。
その中で、今回はアントワーヌ・ブリュメルを取り上げて見ましょう。
彼は、フランドル楽派全盛のこの時代には珍しく、フランドル地方出身ではなく、パリ近郊の生まれだと言われています。
1483年にシャルトルのノートルダム大聖堂の歌手となり、その後ジュネーヴの聖ピエール大聖堂の聖歌隊長になりました。1498年から3年間はパリのノートルダム大聖堂の聖歌隊の指導をしています。1506年からはフェラーラ公アルフォンソ1世の宮廷で、ヤコブ・オブレヒトの後任として宮廷礼拝堂楽長となりました。
彼の作品の中でとりわけ有名なのは、12声のミサ「見よ、大地が多く揺れ動き」です。
当時、旋律を多声部でカノンのように追っていく通模倣様式と呼ばれる形式が隆盛でしたが、ブリュメルでは、12声部の分厚いハーモニーが、複雑なリズムで呼び交わし、こだましながらに展開していき、聴く者を圧倒します。これは、後のサンマルコ聖堂でのヴェネチア楽派の音楽の先駆けとも言えるものです。
ルネサンス期のジョスカン・デ・プレ以降の世代では、ブリュメルは当時の最も偉大な作曲家だと考えられており、ヴェネチアのペトルッチがミサ曲集を出版。その死後は、数多くの作曲家が追悼作品を作曲しました。
参照:皆川達夫「中世・ルネサンスの音楽」、岡田暁生「西洋音楽史」、ヴァルター・ザルメン「音楽家409人の肖像画」、他