2017年10月9日
第182回ディナーコンサート
「愛の色」
演奏:青柳佑子(ソプラノ), 田端愛華(ピアノ)
1.グノー
「ジュリエットのワルツ」
3.ドニゼッティ
「永遠の愛と誠」
4.ベッリーニ
「美しいニーチェよ」
5.ベッリーニ
「どうぞ、いとしい人よ」
6.フォスター
「夢路より」
7.山田耕筰
「かやの木山の」
8.シュトラウス
「春の声」
西洋音楽史と音楽家たち
第22回「アドリアン・ヴィラールトとヴェネチア楽派の始まり」
南阿蘇ルナ天文台・森のアトリエ 宮本孝志 2017.10.09
アドリアン・ヴィラールト(1490頃-1562)は、ルネサンス期のフランドル出身の音楽家です。1527年に任命されて以来、イタリア・ヴェネツィアのサン・マルコ寺院楽長を終生続け、西洋音楽史の発展の重要な転機となったヴェネツィア楽派の創始者となりました。生前から「不朽の名声の作曲家」、「第2のピュタゴラス」、「新しい時代の発明者のひとり」などと称賛されました。
生まれたのは今のベルギーのブルージュかその近郊だと思われますが、パリに出るとフランス宮廷礼拝堂作曲家のジャン・ムートンに師事します。後にイタリアのフェラーラ公に仕え、続いてミラノ大司教イッポーリト2世の宮廷礼拝堂に職を得ます。そして、1527年にサン・マルコ寺院楽長に就任しますが、この事が後世の音楽史に大きな意味を持つことになるのです。
ビザンティン様式で有名なサン・マルコ寺院には、祭壇の両側に2つのオルガンと2つの聖歌隊席があり、非常に残響の長い大きな空間を持つクーポラ(ドーム)がありました。そこでは向かい合った聖歌隊の間に残響のせいで時間差が起こりますが、ヴィラールトはそれを利用して交互に歌わせる交唱様式によって独特のステレオ効果を生み、得も言われぬ音楽的な効果を演出したのです。ヴィラールトは、1550年に8声のモテット「分割合唱のための詩篇集Salmi spezzati 」を書きますが、これは華やかな2重合唱の詩篇で、こうした分割合唱の曲として、最初にして最も典型的な例となりました。
こうして、ヴィラールトはジョスカン・デ・プレ以降、一世代後のパレストリーナの時代までの間、その時代の中心的な音楽家となりました。
彼は非常に多作でしかもさまざまな様式の作曲に長けており、生涯に8曲のミサ曲、50曲以上の詩篇唱、150曲以上のモテット、60曲のシャンソン、70曲以上のマドリガーレなどを遺したのです。
やがて、ここサン・マルコ寺院を舞台にして、ヴィラールトを始まりとするヴェネチア楽派が起こり、こうした複合唱様式がイタリア中に広がっていき、やがてヴェネツィアは当時の西欧の音楽の中心地となりました。
ヴィラールトの後、サン・マルコ寺院の楽長職を継いだ累代の音楽家たち、ジョゼッホ・ツァルリーノやジョバンニ・ガブリエーリなどがヴェネチア楽派の最盛期を彩ってヨーロッパ中に影響を与え、やがてバロックの幕開けを告げるクラウディオ・モンテヴェルディの登場を待つ事になるのです。
参照:皆川達夫「中世・ルネサンスの音楽」、岡田暁生「西洋音楽史」、ヴァルター・ザルメン「音楽家409人の肖像画」、他