2017年10月22日
第184回ディナーコンサート
「フルート名曲31選より」
演奏
フルート:安武美貴
ピアノ:星子眞澄
西洋音楽史と音楽家たち
第23回「ローラン・ド・ラッスス フランドル楽派の終焉」
南阿蘇ルナ天文台・森のアトリエ 宮本孝志 2017.10.22
ローラン・ド・ラッスス(オルランド・ディ・ラッソ)(1532-1594)は、後期フランドル楽派を代表する音楽家です。
ヨハネス・オケゲムに始まる多数のフランドル出身の音楽家たちは、15世紀の半ばからほほ150年にわたってヨーロッパ中の音楽をリードし、ひとつの時代を築きました。それは、フランドル地方の各都市の大聖堂付属聖歌隊が、優秀な才能を選び出し教育して、ヨーロッパ各地へと送り出すシステムを持っていたからでした。
ラッススも、今のベルギーにあたるモンスの街の聖二コラ協会の聖歌隊で教育を受けますが、12歳でシチリア副王ゴンザーガの聖歌隊に入り、マントヴァ、シチリア、ミラノなどを回ります。その後、ナポリやローマで職を得ますが、1556年にミュンヘンのバイエルン公アルブレヒト5世の宮廷音楽家になり、やがて楽長に昇格。年を経るごとに高まるその名声に、ヨーロッパの各宮廷などからの誘いも多かったのですが、それにも応じずに、終生その職にとどまります。
ラッススは多作な作曲家であり、生涯に2000曲もの作品を残したと言われています。
作品はすべて声楽曲であり、ラテン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語で作曲されています。多くのラテン語のミサ曲、530曲のモテット、175曲のイタリア語のマドリガーレとヴィッラネッラ、150曲のフランス語のシャンソン、90曲のドイツ語のリートです。語学が堪能だったラッススは、それぞれの言語で、歌詞と音楽が対応し、言葉の抑揚とリズムや和声が色彩豊かに展開する劇的な表現を生み出したのです。
これらの作品集は何度も版を重ねて出版され、ラッススは「音楽の王」、「ベルギーのオルフェウス」などと讃えられました。また、教皇グレゴリウス13世から黄金拍車の爵位を授けられますが、これは音楽家としては、後のモーツァルトが受けたのみで、たいへん珍しい例でした。ラッススは、16世紀末のヨーロッパで、最も有名で最も影響力のある作曲家だったのです。
さて、150年間続いたフランドル楽派の時代ですが、やがてフランドル地方とスペインの間で起こった独立戦争などの影響で、ヨーロッパ中で活躍した音楽家たちが晩年を故郷で暮らす事ができなくなり、またイタリアで生まれようとしている次の時代の音楽の影響などを受けて、やがて終焉を迎えることになります。
ローラン・ド・ラッススは、フランドル楽派の最期を飾る巨星となったのです。
参照:皆川達夫「中世・ルネサンスの音楽」、岡田暁生「西洋音楽史」、ヴァルター・ザルメン「音楽家409人の肖像画」、他