2018年3月5日
宇宙と音楽への憧れを音楽史とたどる
森のアトリエ ディナーコンサート 2018
第195回 「バッハ vs ヘンデル バロック時代の明と暗」
山口邦子と美舟の丘フルートアンサンブル
西洋音楽史と音楽家たち
第33回「クラウディオ・モンテヴェルディ」
南阿蘇ルナ天文台・森のアトリエ 宮本孝志 2018.03.04
2018年の西洋音楽史連載の最初を飾る音楽家は、古いルネサンス時代から新たなバロック時代へと音楽史の扉を開けたモンテヴェルディを取り上げたいと思います。
1567年にイタリアのクレモナに生まれたモンテヴェルディは、クレモナ大聖堂の楽長マルク・アントーニオ・インジェニエーリに師事しました。1590年ごろにマントヴァのゴンザーガ公爵家のヴィンチェンツィオ1世の礼拝堂付ヴィオール奏者となり、1694年には合唱長(カントール9に昇格しました。その後楽団を引き連れてフランドルからハンガリーまでヨーロッパの広い地域を旅した後、1601年にはゴンザーガ家の宮廷楽長に昇格しました。
彼は、ルネサンスの伝統的なポリフォニー音楽から出発しましたが、やがてキリスト協会の力が衰えて世俗の絶対王権が確立されていき、音楽の関心対象が神から人間自身へと変遷していく世相の中で、その音楽も変容していきます。美しいポリフォニーの和声に代わって、人間の生の感情を表現しようとする動きが始まったのです。
こうして、モンテヴェルディの第1集から第9集まで刊行されたマドリガーレ(世俗の重唱歌曲)をめぐって、当時の大論争が巻き起こりました。ジョバンニ・アルトゥージという批評家が「当世音楽の不見識について」と題して、モンテヴェルディの新しい和声法を理論的な間違いとして否定したのです。これに対してモンテヴェルディは、それまでのルネッサンス的ポリフォニーに基づく厳格な対位法と不協和音の抑制的使用による音楽作曲法を「第1作法」と呼び、対して主旋律と通奏低音による自由な展開と、歌の歌詞を不協和音や半音階を多用してより劇的に表現することを目指す新しい音楽を、「第2作法」として提案し区別したのです。
こうして美しいだけの音楽ではなく、人間が主役となり感情を表現する劇的な音楽が登場し、やがて文字通り劇になった音楽「オペラ」が誕生します。オペラはバロックと共に誕生し発展したのですが、その最初期を飾る傑作オペラが、主役が音楽を背景に歌詞を語るモノディと呼ばれる新しい様式により、1607年にモンテヴェルディが作曲した「オルフェオ」です。
バロックとは「いびつな真珠」という意味のイタリア語ですが、ルネッサンスの目指した神の国のどこまでも美しい調和の世界に対して、人間の感情をデフォルメし誇張してドラマティックに表現するバロックの時代が、こうして幕を開けることになったのです。
やがて、ヴェネツィアのサンマルコ寺院の楽長に選任されたモンテヴェルディは、マドリガーレ「タンクレディとクロリンダの戦い」やオペラ「ポッペアの戴冠」などの傑作を残します。
二つの時代に橋を架け、新しい時代の扉を押し開いた西洋音楽史上の巨人クラウディオ・モンテヴェルディは1643年に没し、ヴェネツィアのサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂に埋葬されています。
参照:ヴァルター・ザルメン「音楽家409人の肖像画」、岡田暁生「西洋音楽史」,
「音楽史17の視座」田村和紀夫他