音乐

西方音乐史和音乐家

5次“Walter von der der Fordweide and Minninger”

2017 4月2天

南仏のトルバドゥールに始まり、騎士としての徳と女性への理想的愛を歌う「宮廷風恋愛」の歌人たちは、12世紀の中ごろからはヨーロッパ北部のドイツ語圏にも活動を広げます。この時代は、もともと十字軍や地中海貿易などで、進んだイスラム文化との接点を持ったことにより、12世紀ルネッサンスといわれるほどの文化生活面での大きな変化が西ヨーロッパにもたらされた時代でした。変化は、経済でも大きな恩恵を最初に受けて発展した地中海沿岸の南ヨーロッパから、だんだんとその影響が北上していきました。例えば北フランスのノルマン系の王によって建国された地中海に浮かぶシチリア王国。また、アラブ・アフリカ系イスラム教国家とゲルマン系キリスト教国家とが入り乱れて領土争いを繰り広げたスペイン。これらの地域はビザンツ文化やイスラム文化がヨーロッパへ流入する窓口になり、宮廷で国政を司ったアラブ人やギリシア人などによって、プラトンやアリストテレスやユークリッドやプトレ��マイオスなどの重要な本が翻訳されたのです。いったんイスラム圏に移されてヨーロッパでは忘れられていた古典古代のギリシア・ローマ文明の成果ですが、こうして哲学書や自然科学書がスペイン語やラテン語に翻訳され、逆輸入されるようになり、それを基にヨーロッパの文化は飛躍的に発展する事になりました。ヨーロッパでの宮廷風恋愛の詩歌の始まりも、こうした豊かで進んだイスラム文化の影響を受けたとも言われています。
さて、そのころのドイツの歌人たちは、ミンネジンガーと呼ばれます。その最高の巨匠とされるのが、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(1170頃~1230頃)です。まさにさすらいの吟遊詩人であった彼は、オーストリア公のウィーン宮廷を初めとして、宮廷から宮廷へと渡り歩きながら、後にワーグナーが楽劇「タンホイザー」で描いた伝説的なヴァルトブルグの歌合戦にも参加したと言われています。ミンネジンガー達は、昼は馬上槍試合などで武勇を披露し、夜は宴席などで宮廷風恋愛の歌を歌ったとも言われ、後にヨーロッパ騎士道の理想とされるイメージを作り出していきました。
フォーゲルヴァイデは、晩年には神聖ローマ皇帝となったフリードリッヒ2世に仕えて封土を贈られ、またその十字軍にも従軍しました。このフリードリッヒ2世とは、1198年に3歳で南イタリア・シチリアの地でその国王になり、1212年にドイツ王となり1220年に神聖ローマ皇帝になるまでの間のドイツ滞在を除いては、1250年に没するまでずっとシチリアの宮廷で過ごしたあのシチリア王(イタリア語読みではフェデリーコ2世)の事です。ビザンツの東方正教を信じるギリシア人や、イスラム教を奉じるアラブ人たちが官吏を務める宮廷で育ったフリードリッヒ2世が、敬虔なカトリック教徒として自ら十字軍に赴き、武力を用いずに交渉でイスラエルを奪還するところは、単純に宗教や文明の衝突などとは言えない歴史的状況の中で生まれた当時の12世紀ルネッサンス文化が、その後のヨーロッパ文化の大きな基礎となった事と合わせて考えると、実に興味深いですね。そんな時代に、後の中世騎士伝説の源流となったのがドイツのミンネジンガーたちの活躍だったのです。

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